ごあいさつ

富澤 拓弥
富澤 拓弥

私は現在(株)Cotatsu奉仕会の代表取締役を務めさせていただいております。
といっても、社員はおらず、私1人の吹けば飛ぶような小さな法人でございます。

事業目的は介護予防の普及活動・講師派遣・イベント企画・イベント司会者派遣等を行っております

Cotatsu奉仕会誕生のきっかけ

この会社を作ったきっかけは、約10年間の介護士としての経験がきっかけになります。
私は母親の影響で、高校を卒業してすぐにグループホームに務めることになりました。

そこで目の当たりにした現場に大きなカルチャーショックを受けることになりました。
当時の私の中の道徳観や倫理観を覆すには十分過ぎるものでした。
職員本位の介護に非常識な声掛け。

しかし、不思議なことに、これがひとつの文化として成立している空間ということが、18歳の私には「これに馴染まなければならない」という意識が働いていました。

最初はきつかった業務も、日に日に上達していき、ある程度の介護スキルを会得すると同時に「本当にこれでいいのか?」という疑問を抱えるようになりました。
人間というは疑問や不安を抱えたときに、必ず誰かのせいにして、責任を放棄する傾向があるようです。

私は日に日に辛くなる業務負担や、他スタッフの不満を聞くたびに、施設に不信感を抱くようになります。
そこでも「本当にこれでいいのか?」と思うこともありました。

当時の私には年の近いスタッフがおらず、心から相談出来る人間もいませんでした。
そこから約7年後、私はとあるデイサービスの管理者になりました。
そこで、私にも何人かの後輩が出来ました。

過去に経験した思いから、私は医療、福祉が集うコミュニティとしてCotatsu.f.cを創りました。
こたつのようなあたたく、だれでも入れるコミュニティ。
Cから始まるのは、介護のcareと医療のcureから始まったコミュニティとしての意味があります

このチームは当初は介護・医療系が中心でしたが、今は他職種の方が参加され、45名の方が登録をしています。
基本はフットサルなどのスポーツ活動を中心としていますが、夏にはバーベキューなど参加していただいている皆さんからの提案から、様々なイベントを行っています。

家業の後継ぎとしての多大なプレッシャー

そして、私が30歳の時に転機を迎えます。
私の父は神戸の長田区で靴の製造メーカーを営んでおります。
私は後継ぎとして、慣れ親しんだ介護業界を引退し、靴の勉強を始めました。

しかし、来る日も来る日も考えることは以前の仕事のこと。
私がつとめていたデイサービスはリハビリに特化したデイサービスで、今まで高齢者とは衰えていく存在という認識をしていて、その事実が悲しいことから、介護の仕事に向き合えず、「こんな仕事は嫌いだ」ともおもっていました。

しかし、そのデイサービスでは、利用者がどんどん身体機能が改善し、出来なかったことが出来るようになっていくのです
私の中では奇跡を目の当たりにした瞬間でした。
利用者は何度も私に向かって、感謝の言葉を述べてきます。
感謝の言葉を述べたいのは私のほうだと、日々思っていました。

そんな日々を思い返しながら勉強をしていても身につくことなんてたかが知れています。
なかなかスキルの取得が進まない私に、周りはさらにプレッシャーをかけます。
社長の息子、跡取りなのだから、将来は君に掛かっている。

様々なプレッシャーから、私に心の病が襲い掛かりました。
会社には行けず、家で呆然と暮らす日々が続きました。

悲劇はこれだけに留まらず、気晴らしのつもりで行った知り合いとのフットサルでアキレス腱断裂という大怪我をしてしまいました。
私は更に絶望し、ネガティブな感情だけが私の頭を支配していました。

紆余曲折ありましたが、家族の献身的な支えと、友人に紹介してもらった、臨床心理士の先生のおかげで、自分を取り戻すことが出来ました。

怪我をしたことによって、多くの考える時間を持つことが出来ました。
そこで「自分は何がしたいのか」ということを自分自身にずっと問い続けていました。
その結論が人や社会の役に立つことがしたいという思いから、以前の勤め先でお世話になった地域包括に松葉杖を突きながら訪問しました。

そこで、私の運動療法のスキルを地域住民のために披露してほしいというオファーをいただきました。
そこで講師ということで、介護予防についての啓発活動を行いました。

松葉杖が入らなくなった時、税理士の友達と話をしているときに「いっそのこと起業してみたら?」という軽い話から、あとはトントン拍子に進んでいきました。
現在では人や社会に貢献するために様々なイベントを行っています。

人と社会のために。たくさんの仲間と共に…

フットサルチームも参加者の皆さんの支えがあり、現在も活動中です。
「支える人を支えたい」という理念のもと、ヘルパー‘sカフェを神戸市の社会福祉協議会の支援のもと、行っております。

「福祉と司法を繋ぐ会」として、福祉従事者と税理士や行政書士、司法書士やFPの先生方との交流会zero2というコミュニティの福祉従事者側のリーダーとして活動しています。

今年最大の目標は、私の知り合いを100人集めて乾杯をするというイベントを12月に予定しており、その運営と司会を成功させることです。
たくさんの人が集まり、多くのChemistryが起こることで、充実した時間を創れると信じています。

こういったコミュニティ形成から、様々な仕事の依頼を受けるようになりましたが、まだまだ妻と2人の娘を十分に養うところまでは行っていません。

しかし、私の人生の中で、こんなに生き生きとした瞬間は無かったと記憶しています。
この気持ちを持ち続けて今後も人と社会のために注力していきたいと思います

事業紹介

リセット整体

お体の歪みや、筋肉の張りを解消して、お体をあるべき姿に戻します。
あなたが本来持っている能力を引き出し、体が楽になっていくことによって、心の豊かさを手に入れて頂けます

リセット整体は体のエネルギーの巡りを妨げている部分の改善を行い、自己回復機能を活性化させます。
セラピストが改善させるというより、ご自身で改善していただくお手伝いをするイメージです

痛みが一切無い、ここちのよい時間をお届けします。

介護コンサルティング

介護事業の経営戦略、営業戦略の相談をお受けします。

さらに整体師として、介護保険の講師としてのスキルを駆使し、人材教育やヘルス・メンタル両面のケアを行います

様々な事業所との人脈を多く持つ強みを生かして、クライアント様の事業目的を達成させることをお約束いたします。

フィジカルトレーナー

部活、同好会、地域クラブ、サークルのいかなる場所に赴いて、指導いたします。

ストレッチのやり方、重要性に対する理解を深めたい、効率のよい運動プログラムの作成や、重心の改善、強化をお手伝いいたします

対象としては、球技全般、陸上、体操になります。
限られた時間をもっとも効率よく使いながら、フィジカルのベースアップをしてみませんか?

代表プロフィール

内気でゲーム好きな幼少期

幼少期はどちらかというと内気で、自宅でテレビを見ていることが多かったと記憶しています。
なので、運動は好きでしたが、苦手でした。
小学校に入ってからはTVゲームが大好きで、家から帰ったら、ドラクエやFFをわからないなりに攻略する毎日でした。

このころから、楽しいことを一人でするより、誰かと共感したほうが楽しいことに気が付き始めたと思います。
みんなでゲームをしたり、遊びを作ったり、近所のおにいちゃんが遊んでいることを真似てみたり、そういったことが好きな少年でした。

小学校3年生の時、阪神淡路大震災で被災し、家を家事で失いました。
小さい時ですが、見慣れた町並みが炎に包まれていく様を今でもはっきりと覚えています。

住む土地が変わり、学校も転校。
仲の良かった友達の葬儀にも出ることは適わず、大切な仲間たちとバラバラになってしまったことは、幼い私には大きすぎるショックでした。

住む場所や人間関係も変わり、やり切れない気持ちの矛先が友達に向き始め、喧嘩をしてしまうこともしばしばありました。
結局何人かの友達はいましたが、基本的に自宅でゲームか漫画やアニメを見ている時が一番幸せでした。

内向的になった自分に否定的な言葉を浴びせられる日々もあり、日に日に自分は何も取り柄のない人間だとコンプレックスを抱いていた自分に、中学で転機が3度訪れることになりました

努力することの大切さを教えてくれた卓球

まず中学で卓球に出会いました。
勉強も運動も出来なかった自分には、恐らく人気のない卓球部でなら、競争も少ないのではと、浅はかな考えから入部しました。

しかし、私の考えとは裏腹に、小学校でサッカークラブにいた子達が、中学では続々と卓球部に入部し、1年部員は13名と部にとってはうれしい豊作の年になったのです。

当然私は後ろから3番手という弱さから、顧問の先生から「富永」と、2年になるまで名前を間違えられていました。
ただ、どうしても勉強が苦手な私は、せめて部活で強くなりたい。という思いを強く秘めていました。

転機が訪れたのは2年の夏。
突如レギュラー陣を打ち負かす私に、顧問の先生がハンデ戦ではありますが試合をしようと言ってきました。

実は私は、1年生の秋から、他の部員が行っている練習量の倍の練習をしていました
夜には地域の卓球クラブが一般開放しており、そこに友達と参加していました

その成果が出たのは、先生の逆を付く、バックハンドの強打でした。
日本人は主にフォアハンドを得意とした選手が多く、バックハンドを主に戦う人は少なかったと当時は言われていました。

あろうことか、その試合で私は先生に勝ってしまいました。
先生から「成長したな、富澤」と初めてまともに名前を呼んでもらえた瞬間でした。

そこから私は頭角を現し、レギュラーに定着し、当時のキャプテンと不動のダブルスコンビとして、神戸市ベスト8に入り、表彰されました。

なんの取り柄もなく、全校集会で校長先生に表彰される人は雲の上のひとと認識していた自分がそこに立った時は、言葉に出来ないうれしさがありました。
ここで、自分の居場所は自分で作れる
努力は裏切らないということを学びました

極度の緊張感を乗り越えて

部活を引退してから、もうひとつ転機が訪れました。
中学最後の文化発表会の出し物で、演劇を行うことになりました。

誘ってくれたのは、生徒会長で、「脇役でいいから、お願い」ということで、安請け合いしたのですが、まさかの準主役に抜擢されてしまいます。
先生は「大丈夫、台詞覚えられないなら、先生が黒子でそばにいるから」という言葉に奮起し、本番一ヶ月前から台詞を覚えてしまいました。

当日は、母親、妹、友達に私の演技をしている姿を見られます。
多感な時期の男子に、これほど恥ずかしいことはありませんでした。

出番が来て第一歩目に、緊張はピークになり、無我夢中で舞台に立っていました。
この後、私は、こんなに恥ずかしいことをしたのだから、多少のことは恥ずかしくないということで、羞恥心の基準が人より感じにくくなっていました
舞台を通して、度胸がついた瞬間でした

コミュニケーションが変われば人間関係も変わる!

次に、ラジオとの出会いが私のコミュニケーションに大きな変化をもたらしました。

私が主に聞いていたのはAMラジオでした。
そこには好きな芸能人や声優さんのトーク番組が展開されていました。

テレビ番組の裏話や、普段聞けない話を声だけで伝える世界は私にとっては新鮮でした。

間の取り方、テーマの動かし方、グループでの会話術。
この頃から、私の話し方や、コミュニケーションのとり方が激変しました。

さらに、私が聴いていた番組にはリスナーが電話で参加するコーナーがあり、羞恥心を感じにくくなった私は、そのコーナーに応募し、参加することになりました。

後日、友人がその放送を聞いていて、クラス以外の生徒からも注目されることがありました。
人がしないことを行うと、注目を集めるということ、コミュニケーションを変えることで、周りが変わったように見えるということを学びました

高校に入ってからは人を楽しませることをテーマに、ラジオから得た会話術や、ものまねなどで「こいつなんかおもろいやつ」という印象を得ていました。
高校デビューという言葉がありますが、私にとって人間関係が激変した3年間でした。

高校3年間は毎日誰かを楽しませたい、喜んで欲しいという感情だけで生きていました
今にして思えば、幼少期に居心地のよかったときを自分で作りたかったのかもしれません。

整体師として

永井美香子先生との出会い

私の整体師としてのきっかけは、25歳のときに勤めたリハビリデイサービスがきっかけでした。
入社してすぐに、東京の研修を受けに行き、そこでその後、私の師匠となる永井美香子先生と出会いました。

先生の講義は正直とても眠い時間でした(笑)
決して退屈という意味ではなく、とても心地よい時間だったからです。

講義の合間に、他の研修生が体の相談を永井先生に持ちかけていました。
二言、三言言葉を交わした後、先生が体に触れると、その研修生が驚愕の表情と共に、ずっと悩んでいた背中の痛みが消えたというのです。

まさかと思い、私も膝に痛みがあったので、先生に相談しました。
そこで先生から「膝をこうやってなでてごらんなさい」という言葉をいただきました。
なんだ触ってもくれないのか。と、がっかりしながら言われた通りに膝をなでて見ると、痛みがすっと引いていきました

先ほどの研修生のように驚愕の表情を浮かべていると、先生から「今度はあなたが利用者さんに伝えるのよ」と優しくおっしゃってくださいました。

その後私は自店に戻り、運動プログラムを提供するインストラクターとして働いていました。
1コマのプログラムは大きく分けて3つ。

  1. ヨガの呼吸を取り入れたストレッチ
  2. イスに座ったままできる筋力体操
  3. 自宅に帰ってから出来る運動を伝えるセルフケア教室

このセルフケア教室は誰でも出来る簡単なことですが、はっきりとbefore・afterを見せるプログラムになっていました。

今まで高齢者は老いていくしかないと思い込んでいた自分に、逆のことがどんどん起こっていることで、私はこの仕事にとてもやりがいを感じていました

痛みに悩んでいる人が、豊かな人生を送るために

もっと人を元気にしたい。
痛みに悩んでいるひとを助けたいという思いから、永井先生が開いている柏リセット整体院に通い、自分の体のケアと共に、様々な知識や手技を教えていただけました。

デイサービスに通い続けて、筋骨格系への理解を深め、整体院で神経系等の理解を深めた約6年の修行を経て、リセット整体を扱う訪問整体師としての活動を始めることになりました。

主に体を元の状態に戻す、リセットすることで、体の痛みや、出来ない動作を出来るように行います。
また、神経へのアプローチにより、ストレスや内臓の不調を整えることのできる整体術になります。
最大の特徴は、痛みがなく、心地よいという所
また、施術終了後に、セルフケアをお伝えして、再発防止や、他の痛みの予防を行います。

病院に行くほどではないが、日々の痛みにストレスを抱えている方や、病院に行ったけど、なかなか痛みが緩和しないという方は、ぜひお問い合わせください

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